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ぴかろんの日常

ぴかろんの日常

リレー企画 309 シャッフル4

シャッフル 4 ぴかろん

「僕、昔、自信満々の男だったんです」
「…うん…」
「仕事も遊びも目一杯やってました」
「…うん…」
「会議でも意見出しまくってたし、僕に対抗する意見は徹底的に潰してました」
「…。ぉん…」
「上司からも同僚からも一目置かれてました」
「…。ぅん…」
「できる男でしたよ、たしかに!」
「…。ぁん…」
「プライベートでも人気者でした。人に対して言いたいことズケズケ言ってました」
「…ぁぃ…」
「調子に乗ってたんです!増長してたんです!」
「…」
「まわりのみんな、本音で接してくれてると思ってたけど違いました。ホントの友達なんてできませんでした」
「…」
「それ以来ズケズケ言うの、やめたんです!イナさんだって引くでしょ?こんな僕」
「…いや…」
「言葉では何とでも言えます。僕はさっき見ました。知らない人を見るような目つきでイナさんは僕を見ました」

…あら…意外とナイーブなんだ…

「仲良くなれたと思ったのに…やっぱりダメなんだって思いました…。僕は僕を出しちゃいけないんです。みんなが期待しているドンヒでなくちゃいけないんです」
「…。そんなことないよドンヒ。そりゃびっくりしてちょっと引いちゃったけど、それは俺の受け入れ態勢ができてなかっただけでさ、お前はそのまんまぶつかってくれれば…」
「ずるいです!逃げたくせに!僕のせいにする!」
「いや、お前のせいにはしてないし…」
「誰が誰のせいで泣いてるって?」
「「へ?」」

突然頭上で声がした。ドンヒと俺は驚いて声の方を見上げた。イヌ先生が仏頂面で俺達の真ん中に立っている

「ちょっと…」

イヌ先生はドンヒの前に手を出してヒラヒラと横に振った。俺達はそれが何の合図なのかわからず、目を白黒させていた

「ちょっと」

さっきより強い調子でイヌ先生は言った。何が『ちょっと』なのかさっぱりわからない

「ちょっと!」

イヌ先生の口がムッと横に張られた。なんだかわからないけど怒っているようだ。だが俺達は何をどうしていいのかわからず、イヌ先生を見つめたままじっとしていた

「ちょっとって言ってるだろ?!ずれてよ!」
「は?」
「イナじゃない、ドンヒ」
「へ?僕?」
「そう、君!僕がここに座るから横にずれてよ!」

イヌ先生は俺とドンヒの間に座りたいらしい

「えと…イヌ先生、こっち側、空いてますから」

俺の左隣を示すとイヌ先生の口はますますムッとした

「違う!ここなの!」

先生はまっすぐドンヒの座っている場所を睨んで指差した

「いやです!」

ドンヒは力強く答えると、俺の首に抱きついてきた

「ぐえっ」
「どぉして僕が横にずれなきゃなんないんですか!」
「ここに座りたいからだ」
「どぉしてイヌ先生がここに座るんですかっ!」
「イナの隣だからだ!」
「イナさんの隣ならそっち側が空いてるでしょ!」
「ここがいいんだ!」
「いやだ!」

なんなんだ!今日は予想外のことが多すぎる。イヌ先生、一体全体どうしたっていうんだ!そう言えば

「…センセイ、ウシクはどこ?」

そう聞くとイヌ先生は唇をプルプル震わせ、俺の腰にがっつりとじりついた

「わわわわ」
「何してるんですか!やめてくださいよ!なんでイナさんに縋りつくんですかっ!」

ドンヒが大声で叫び、ますます俺の首に巻きついた

「げげ…ぐるじい…」
「イナさんが苦しがってるじゃないですかっ!離れなさいよセンセイっ」
「君が退けば問題ない」

センセイは俺の太ももに突っ伏したまま、くぐもった声で言った
なんなんだぁぁぁ、俺はこの二人にとって、どういう存在なんだぁぁぁ
コイビトではない、思い人ではない、ただの同僚だっ、苦しい
どぉしてこの二人が俺の取り合いなんかしてるんだぁぁぁ、ぐるじい…だずげでっ…

「僕は退きません!」
「僕だって退かない」
「ドンヒ…ど、ドンヒ…ちっとだけ腕、緩めて、おねがい…」
「…あ…すみません」

ドンヒが怯んだ瞬間、イヌ先生がぐいっと体を乗り出した。センセイの頭が微妙な位置にある

「あひん…」
「イナさんっ!何反応してるんですかっ」
「ははは反応なんかしてねぇよっ」
「イヌ先生、離れなさいよ」
「…ウシクが冷たい…」
「「へ?」」
「ソフトクリーム食べたらすっごく怒った…」
「ウシクさんのを全部食べちゃったからでしょ?!怒るの当たり前です!食べ物の恨みはコワいんですからね!ウシクさんならなおさらです」
「ひどい!ウシクに言ってやる」
「ああどうぞ、今すぐ言ってきてください!」
「…ウシク…いないもん…」
「探しに行けばいいでしょ!」
「いなぁぁぁ」
「どぉしてイナさんに頼るんですかっ!」
「ここにイナがいるからだ」
「イナさん!なんとか言ってくださいよ!」
「あああの…とにかくセンセイ、こっち側に座ろうよね」
「いやだ!座るならココがいい!」
「えっと…じゃ、このままでいいから落ち着いてくらさい」
「落ち着いてるもん!僕はいつも落ち着いた雰囲気だもん!」
「センセイがこんな聞き分けのないヒトだとは思わなかったです!そりゃウシクさんも愛想尽かしますよ!」
「ドンヒ!煽るなってば。えっと…ウシクはどこへいったのかな~」
「しらないもん…」
「喧嘩したんですね?」
「しらない。勝手に怒った」
「だからそれはセンセイがソフトクリームを食っちゃったからでしょ?!謝れば済むことです!謝ってきなさいよ!」
「だって僕がお金出したもん」
「食べるんなら二つ買ってきてもらえばよかったじゃないですか!」
「ドンヒドンヒ、お前、黙ってろってば」
「ほら!」
「へ?何がほら?」
「やっぱり僕が自分を出すとシャットアウトしようとするっ!」
「ちちち違うってば、お前、イヌセンセを煽ってるから…」
「ドンヒのばか」
「なんですって?僕はバカじゃありません!」
「ちょっともう、二人ともやめてよお願いだからっ」

「な~にやってるんですかぁ」

再び頭上から声がした。ウシクだ!俺はすがりつきたい思いで顔を上げた。ウシクは冷たい目で先生を見下ろしていた

「…うしく…どぉしたのよ、怖い顔して…」
「先生があんまりワガママだからね」
「…」
「センセ、イナさんに縋り付けて嬉しいでしょ?理想的な太ももだもんね~よかったよかった」
「う…うじぐ…」
「心配になって帰ってきて損しちゃった。僕、店の掃除してきま~す。後はよろしくね」
「ちょちょ、うしくっ。ええいっ先生ごめん!」

俺はありったけの力を込めて先生をひっぺがし、ドンヒに押し付けてとっとと歩いていくウシクを追いかけた

*****

思ったほど時間も食わず、おっちゃんのタクシーは陸軍病院の門前に到着した

「こーゆートコってあれかな、簡単に入れないのかな…」
「わかんないねぇ、入り口で止められるかなぁ…」
「…。おっちゃん」
「ん?」
「あそこの喫茶店で待ってて。俺、行ってくる」
「え?ラブちゃん、一人で大丈夫なのかい?」
「大丈夫だよぉ、俺、大人だしぃ」
「でもラブちゃん一人じゃ怪しまれるんじゃあ…」
「なに?!」
「あ…いやその…」
「俺が何かしでかしそうだってぇの?!」
「だって…いろいろしでかしてるじゃん、テジュンさんとアレコレとか…」
「む」
「あは…あはは」
「そりゃ俺はテジュンとああでこうでああなりましたけどっ、それはプライベートなことですしっ!大体なんでおっちゃんがそういうコト知ってるの?」
「だってギョンジンちゃんが泣きながら愚痴ってたから~」
「ぶー。めちゃくちゃ過去のコトなのにっ!」
「それにラブちゃん、その服装、超軽薄そうだし」
「だってまさか軍関係の病院に入院してるなんて思ってなかったもんっ。じゃ、おっちゃんのその背広貸してよ!上から羽織るから!」
「あや、そんな事したらもっとチンピラっぽくなるよラブちゃん」
「ぶー。じゃ、脱ぐ」
「え?」
「裸で行く」
「ええええっ?」
「嘘だよ。もし止められても事情を話せば入れて貰えると思うしさ。俺、行ってくるからおっちゃん喫茶店で待ってて」
「…でもぉ…」
「せっかくここまで来たのにこのまま指くわえて帰れっていうの?!」
「いやだからおっちゃんが聞いてきてあげようかな~と思って」
「…おっちゃん…優しい」
「えへへ」
「でもいい!ぶー!俺、何もやましいことしてないもん!とにかく行くからね、俺」
「…わかったよ。じゃ、あの喫茶店で待ってるから」
「うん」

俺は車から降りて病院の門に向かった
そんなに怪しそうかしらん、今日の格好…。いつものサイケなプリントシャツだけどな~
ま、いいや、なんとかなるだろう
背中におっちゃんの心配そうな視線を感じる。緊張するなぁ…
門のところに守衛さんがいたけど何も言われなかった。どうだ!俺は怪しまれたりしなかったぞ!
これみよがしに後ろを振り返ったが、おっちゃんの車は既に消えていた

病院の中に入り、受付にたどりつく
身分証明書は持ってきたし身体検査が必要なら受けるぞ
ドキドキしながら受付のおばちゃんに声をかけた

「あのぅ…こちらにイ・ミンチョルさんが入院してると思うんですが…」

*****

「いなぁぁぁぁ…ぐすん…いなのばか…ぐすんぐすん」

イナさん、ひどい!イヌ先生を僕に押し付けて行っちゃった…
ウシクさんを追いかけるふりして逃げたんだ絶対
イヌ先生はこんなだし、僕は…

僕は不安定だ

イヌ先生
ウシクさんと幸せそうに微笑みあってたのに
先生も不安定なのかな

僕はそっと先生の背中に手を伸ばした

「今何時?」
「え?!」
「今、何時?」

顔を両手で覆ったまま、先生が僕に訊ねた

「えっ…と…3時45分ですけど…」
「あと10分…」
「え?」
「10分こうしていよう…」
「は?」
「うしくのばか…いなのばか…」
「あ…の…なんで10分?」
「4時には店に行かなくちゃ…」

チーフ代理の先生は責任感が強いようだ。冷静に入店時刻を考えてる。こんな先生がダダこねるってどういうこと?全部計算?
伸ばしかけていた手を引っ込めて僕はうなだれた先生の頭を睨んだ

「先生にとってイナさんってどういう存在なんですか?」
「…。イナ?」
「さっきどうしてイナさんを頼ったんですか?」
「…。イナがここにいたから…」
「ウシクさんを追いかけようと思わなかったんですか?」
「…」
「ウシクさんは先生の恋人ですよね?じゃ、イナさんは?」
「なんで詰問調なの?」
「え?」
「どうして僕は君に追い詰められなきゃいけないの?」
「問題をすり替えないでください!」
「イナは仲間だもん。ここにいたから頼っただけだもん」
「じゃ、ウシクさんがいたらウシクさんの方に行ってたんですね?」
「わかんない。ウシク、怒ってたから…」
「…。イナさんの横に僕がいたの、気に入らなかったんですか?」
「…」
「僕は邪魔ですか?」
「どうしてそんなに僕を責めるの?悲しい気持ちの時に仲間を頼っちゃいけないの?」
「そんな事は…言ってません。ただ、僕だってこの場所に居たのに…」

あれ?何言ってんだろ、僕…
違うよ、違う…僕はただ、イヌ先生が無理ばかり言うから…それで腹が立って…

「イナは…子どもっぽいけど…面倒見がいいんだもん…」
「…だから頼っちゃうんですか?」
「いけない?」
「…いえ…」

イヌ先生は悲しそうな顔で僕を見つめた

「ドンヒ」
「…は…はい…」
「どうしてこんなに涙がでるんだろう…」
「はい?」
「何が哀しいのかわかんないんだ、僕…」
「…」

問われても答えようのない問いに僕は戸惑った
それと同時に僕にそういった問いかけをしてくれた先生を少し身近に感じた
…仲間ってのは…こういう感じなのかな…

「ウシクもイナも僕に愛想つかしたよね」
「…そんなことないと…思います…」

イナさんは僕に愛想をつかしたのかな
ぼんやりとそんな事を考えていると、先生は僕を見つめ、少し眉根を寄せてこう言った

「優しいね」
「え…」
「優しい…」

呟いた後、先生は僕の肩に頭を乗せた
驚きはしたけれど、自分の気持ちを掴みきれていない先生と僕とが共鳴したのか、僕は不思議な安堵感を覚えて先生の髪を頬で撫でた
暫くそうやって、僕達は恋人同士のようにくっついていた。やがて先生が頭を上げ、ふぅっとため息をついた。僕は憂いを帯びた先生の横顔に見惚れた

*****

「ウシク!待てよ!いいのか?あんなぐちゃぐちゃのイヌ先生ほったらかしといて」
「…」

俺に呼び止められたウシクは、落ち着いた顔で振り返った

「ごめんね、迷惑かけちゃったね」
「…」
「センセ、変でしょ?」
「…ああ…」
「自覚してないんだよね」
「…何を?」
「不安定な理由」
「…ああ…」

ふと、ギョンジンを思い出した。先生にもあいつのような『無自覚な不安に陥る理由』があるのか…

「もうじきさ」
「…おお」
「センセの娘さんのお誕生日なんだよね」
「…え…」
「センセ、言わないけど」
「…」
「ってか、忘れようとしてるのかもしれないんだけどね…。忘れられるはずないじゃん?」
「…おお…」
「ふぅ…。そういうわけ」
「え?お…」

ウシクはニコッと笑ってまた歩き出した

「待てよ、そういうわけって…どういう…」
「イナさん、わかるでしょ?」
「え?」
「イナさんならわかるはず」
「…え…」

ウシクの言う意味がわからなかった
確かにギョンジンが変だった時は、『無自覚な不安に陥る理由』ってのがあった。でも俺がそれに気づいたわけじゃない
それに、ギョンジンと俺の(それからラブの)あの時の詳しい状況をウシクが知ってるとも思えない

「…どうして俺が…わかるってなにが…」
「もう。忘れてるんだ…」
「だから…何を…」
「センセ、そういうトコがあるでしょ?」
「え?」

ウシクの言葉から、俺は過去を引きずり出す
ウシクと俺が知っている先生の事ってなんだろう…
立ち止まっている俺にはおかまいなしに、ウシクは店へと歩いていく
先生が変だった時なんてあったかな…

*****

先生が僕に微笑みかけた
全て包み込んでくれるような、だけどどこか甘えたような微笑みに、僕は魅入られる
先生と僕がこんな風に見詰め合っているなんて、どうしたっておかしい
そう思っていても僕は先生から目を逸らすことができなかった
やがて先生の右手が僕の頬に触れ、僕は先生に引き寄せられ、僕達の唇が重なった
夢の中の一コマみたいに甘い痺れを感じた
僕達はお互いの唇を何度も重ね合わせ、舌を絡め、キスに酔いしれた
頭の芯がぼうっとなって、誰とこうしているのかわからなくなった

一瞬だったのかもしれない。けれど僕には長い時間に感じられた
柔らかな唇が離れ、僕は目を開けて先生を見た
先生は潤んだ瞳で僕の目を見つめ、微笑み、それから突然微笑みを消した

「…ウシクじゃない…」

ぼんやりしている僕を尻目に、先生は強張った顔で立ち上がり歩き出した

え…
なに?
僕は今、先生と何をしていたの?
キス…
そうだ…キスしたんだ…
先生が僕を引き寄せて
それで僕にキスして…

『ウシクじゃない』

え…
え?

先生の後姿が木の陰に隠れそうになった時、僕の意識ははっきりした

「せ…せんせいっ」

立ち上がって先生を追いかける。先生の肩に手をかけ、振り向かせる

「今のは」
「…」
「今のキスは先生」
「…」
「今のは何だったんですか?」
「…」
「先生!」
「店に行かなきゃ」
「…」

聞かなくてもわかってる。先生はちょっと…ちょっとばかり不安定で…それで…
BHCの仲間はみんな同じ顔だから…だから近くにいた僕をウシクさんと間違えてそれで…

それだけのことだ
僕へのキスじゃない

そもそも先生が僕にキスする理由なんてない
ただ間違えただけだ

僕は唾を飲み込み、目を閉じて状況を把握し、そのまま笑顔を作った
頬が引き攣れてピクピクしている
喉の奥から熱い塊が噴きあがってくる

何やってんだ
何期待してんだ
期待?期待なんかしてないさ
対処しただけだ
その場その場で起きた事柄に、僕はただ対処していただけなんだから…
頬を引き攣らせる必要はない
僕はイ・ドンヒだ
いつも冷静で的確な判断を下すイ・ドンヒだ
今は…今は何をなすべきか…
そう…店に行かなくちゃ…
ううん、それよりも先に…そう…報告しなくちゃ…

目を開けて歩き出す
十数メートル先に、イヌ先生の背中が見える
関係ない
僕は電話を取り出して番号を拾い出した

*****

店の鍵を開けているウシクに追いつき、俺は尋ねた

「ウシク。わからない。どうして俺なら先生の事がわかるって?」
「引越しの時さ」

一言そう言ってから扉を開き、ウシクは俺にニッコリ笑って店の中に入った

「引越し?」
「はぁ。…あの時、片付けても片付けてもすぐに荷物解いて散らかしちゃってたじゃん?先生」
「…。あ…ああ…」
「思い出した?」
「ああ…あの…」

ウシク達の部屋に飾られた男子生徒の写真を思い出した
先生の初恋の人の生まれ変わりだった男の子
あの子の写真を無意識に探していた先生

「…あん時と同じ…なのか…」
「まあね。似たような感じかな。僕に遠慮してるんだろうね」
「…でもお前、センセの娘さんの誕生日、知ってるんだろ?」
「うん。知ってるよ。だけど先生は僕がその日を知ってるってこと、知らないんだ」
「ふぇ…」
「僕ね、先生が僕にちゃんと言ってくれるまで待ってようかなと思ってさ」
「…」
「先生ったらまだ僕に気兼ねしてるんだよね」
「…先生らしいな。それ言ったらお前が辛い思いすると思ってるんだろうな」
「だったらいいんだけど」
「ん?」
「そうやって自覚があればいいんだけどさ、あの人、自覚してないんだ、その事」
「え?どういう事?」
「過去を考える事自体、申し訳ないって気持ちがあるんだろうね。だから色んな思い出を封印してるみたい、勝手に」
「…」
「考えたり思い出したりすれば自分も僕も辛くなるとか、無意識に判断してんだよ。困ったジジイだ」
「それで…無自覚な不安に陥ってるってワケか…」
「うん」
「穿ってやればいいんじゃねぇの?」
「ふふ」
「ん?まさかこの状況を楽しんでる?」
「ううん、そうじゃない。けどさ、僕が無理矢理穿り出すのって良くないかなと思って
先生が自覚して、僕にきちんと気持ちを話してくれてようやく僕達本音で向き合えたってコトになんない?」
「うーん…まあ…」
「イナさんは穿り出すの得意だもんね、ふふ」
「でもさ、このまま通り過ぎちゃったらどうするんだよ」
「うーん、どうだろ。かなりイッパイイッパイになってると思うんだけどね、先生」
「…でも下手すると閉じこもっちゃわないか?昔みたいに」
「あ~。やなコト思い出させるなぁ。テヒさんへの想いはさ、自覚して封印してたんだよね、センセ」
「そうなの?」
「自分だけがこの想いを守っていけばいいんだとかなんとか…」
「ふうん」
「あの人って封印好きなんだよね~」
「封印好き…」
「つい、封印しちゃう」
「あは」
「今回は待ってみようかなと思ってさ」
「でも、元来封印好きだったら、そのまま蓋しちゃわないか?」
「んー、だから本題については待ってみようかなと」
「つまり、娘さんの誕生日については…ってことか?」
「うん。僕から言い出したって構わないのかもしれないけど。誕生日だね、お祝いしようよとかさ
でも、そしたらきっと先生、ずっと僕に遠慮しながら毎年のお祝いするんじゃないかなって思って」
「…」
「先生が自分で僕に言い出してくんないとさ、先生自身が心からお祝いできないんじゃないかなって…。考えすぎかな?」
「いや…流石はウシクだ」
「んふ。自信持っていい?先生に関しては」
「当然だろ」

俺はウシクをハグした

「お前はすげー奴だな。かっくいい。後でどーなつ買ってきてやる」
「じゃ、ナッツショコラとパフクリームのね」
「…メモしとけ」
「ふふ」

明るい笑顔だ。ウシクはかっこいい。それに比べて俺はどうだろう。テジュンのこと、こんな風に理解できてるだろうか?

「僕さ」
「ん?」
「不安定だったじゃん?祭が終わった頃とか…」
「…ああ…そういえば…」
「お義父さんちに行った頃、皆知らないけど、僕、めちゃくちゃだった」
「…ん…」
「旅行中…僕…先生に…ほんとに酷いこと…」

ずっと微笑んでいた顔が翳り、ウシクは俯いて唇を噛み締めた

「僕がこうやっていられるの、先生がずっと一緒に居てくれたからなんだ。先生には僕の全てを曝け出せる。でも先生はまだ僕に全てを見せてない
先生の方がいろんな事経験してるし、その分辛いこと一杯背負ってると思う。センセ、優しいから、僕に負担かけたくないんじゃないかな…」
「ウシク」
「一人で荷物背負ってさ、ボケてるから荷物の事忘れちゃっててさ、普通に歩こうとするからバランス崩してるんだよ
腰を痛めたのは僕のせいじゃない!自分の背負ってる荷物のせいなんだから! バカじじい!」

鼻を啜りながら愛情たっぷりに先生を罵るウシクを、俺はもう一度抱きしめた
その時、ウシクの携帯が鳴った。ドンヒからだった

*****

俺は緊張しながら病院のロビーに座っていた
ミンチョルさんとギョンビンは、確かにこの病院に入院している。だけどまだ面会できないっていう
命に別状はないけど、術後の処置だの検査だの、色々することがあるらしい
受付の不機嫌そうなお姉さん(あんまり不機嫌そうだったから、おばちゃんだと思ってた)に、明日は面会できるかどうか聞いてみた
彼女は、手元の書類を整えながら、明日の事は明日にならないとわからないんです…と言った
それを事務的で冷たいと受け止めるか、そりゃもっともだよなと頷くかは、俺という人間の度量によると思う
俺は、傷つきも納得も選択せず、次のステップに進んだ

付き添いの男を呼んでくれ、患者達や俺の同僚だ、仕事の連絡をしたいのだが、電話が繋がらなくて困っている、なんとかしてくれ

早急に、早急にと何度も繰り返し、ようやくここを探し当てたのだと捲し立て、俺は彼女を煩わせた
彼女は、それはお困りですねぇ、少々お待ちくださいと俺の前からトンズラし、後方にいるおっさんに何やら報告している
チンピラが絡んできたとか言ってるんじゃないだろうか…そしたら明日来ても面会断られたりするかもしれない…
まずい…やっぱりおっちゃんについてきてもらったほうがよかった?
チラチラ振り返る彼女とおっさんに、俺はとびっきりの笑顔をこさえて手をヒラつかせた
二人は俺を見なかったような素振りで向こうを向いた
ますますマズいかもしれない…せめておっちゃんの背広、借りてくるんだった…
カウンターに組んだ手を置いて指をコネコネさせながら、俺は俯いて目を閉じた

「お呼び出し申し上げます。BHCのミン・ギョンジンさん、BHCのミン・ギョンジンさん、一階ロビーまでお越しください」

顔を上げた俺の目に、おっさんと彼女の優しい微笑みが飛び込んできた

「一応放送はかけましたが、院内にいらっしゃるかどうか…」
「いいんです。ありがとう。助かりました!ロビーで待ちます」

それから30分、俺はドキドキしながらロビーであいつを待った
…道の混み具合を考えるとあと少しで出発しなきゃなんないし、おっちゃんも待たせてるし…
あと5分…あと、いや、10分だけ…

「お呼び出し申し上げます。BHCのミン・ギョンジンさん…」

受付の彼女は、俺を気の毒に思ったのか、10分おきに放送をかけてくれていた
俺は彼女のところへ行き、礼を言って、あと10分待っても来なかったら今日は諦めます…と告げた

「そうですか。明日もいらっしゃいますか?」
「…多分…」
「では病室に伝言しておきましょうか?」
「え?ホント?じゃ、俺…あいや僕、ちょっとメモ書きます」
「どうぞ、これをお使いください」

彼女はメモ用紙とペンを渡してくれた

「ありっ…ありが…ぐじっ…」

なんて優しいんだろう。不機嫌そうなんて言ってごめんなさい。貴方は天使ですぐしん…
泣いてしまいそうで言葉にはできなかったが、俺は彼女に何度も頭を下げてメモに向かった

ばか!こんな時こそマメに連絡しろよ!みんな心配してるんだからな!
入院先ぐらいちゃんと伝えろよ!どんだけ探し回ったと思ってんだよ!

罵る言葉は沢山思いつく
伝えたいのはこんな事じゃない…

俺は時計と睨めっこしながら文面を考えた
考えて考えて考え抜いたあげく、メモの真ん中にブタの鼻の絵を描いた

受付に行き、やっぱり伝言はいいです、ありがとうと言ってメモを返した

「これは?」
「ああ…文面思いつかなくて…」
「連絡しなくていいんですか?」
「…考えてみれば明日でも構わないので…。あ、すみません、何度も放送してもらったのに」
「いいえ、いいんですよ。せっかくいらしたのに残念でしたね」
「あは。明日また来ます」
「あの」
「はい」
「面会時間は午後二時から午後四時までですので」
「あ…はい…ありがとう」
「あの」
「はい」
「この、プラグ受けの絵、頂いてもよろしいですか?」
「は?」
「この絵」
「は?は…はい…」
「それじゃ、サインもいただけませんか?」
「え?さ…さいん?お…ぼ…俺の?」
「はい」

彼女はにっこり微笑んだ。気のせいかな、顔が赤くなってる
え?もしかして俺…やっちゃった?
やー…どうしよう…ツミ作っちゃったかなぁ…でへへ…
女の子になんて久しぶりだもんな~
いやいや、店ではマダム達の相手してるんだった…うひん…
名刺、渡した方がいいかなぁ…
あん、今名刺持ってないや、残念

俺は、ブタの鼻の絵(彼女にはプラグ受けに見えたらしい…)の下にサインした
ちっと手が震えた

「いろいろありがとうございました。また明日来ます」
「はい、お気をつけてお帰りくださいね」

彼女にとびきりの笑顔を見せて手を振り、俺は病院を後にした

*****

「え?…。う…うん…。そう…。うん。わかった。はい。じゃ」

電話で話す数分の間に、俺はウシクの様々な表情を見た
微笑んで驚いて困惑して諦めて納得して気を取り直して切り替えて前向いて微笑んで…
電話を終えたウシクは俺に笑いかけ、センセ、ボケっとやって来るって、と言った

「ボケッと?」
「うん。ボケてたみたい。…ドンヒに…キスしたんだって」
「ええっ?!」
「僕と間違えてたみたい」
「…え…」
「そこまでボケたかぁ。くはーっ。ってことでさ、ドンヒ、多分ショック受けてるから迎えに行ってあげて」
「ちょ…ウシク…、どういうことよ、なんでセンセがドンヒにキス」
「それほど不安定ってことかな」
「おま…なんでそんなに落ち着いて…。悔しいとかヤダとかないの?」
「だって…騒いだって仕方ないじゃん、もうしちゃったんだし」
「ドンヒのヤツ、なんでそんな事電話してきたんだよ!」
「なんかセンセに、僕とドンヒとを間違えたってなこと言われたらしい…。黙ってられなかったんだろうね、きちんと報告するの、ドンヒらしい…」
「なんて事務的な野郎だ!律儀に報告しなくてもいいじゃねぇか!」
「…。イナさん、何怒ってるの?」
「だってさ、お前の気持ち考えたらさ、そういう事言わなくていいんじゃねぇの?間違えられたんならそれで流しときゃいいじゃん」
「流せなかったんだよ、ドンヒは真面目だから。それに隠し事してたらギクシャクしちゃうじゃん。…。センセのことだからきっとめちゃくちゃムーディなキスしたんだと思う」
「…」
「そんなのカマされたらさぁ、真面目なドンヒ、クラっときちゃうよね?」
「…真面目かなぁ…。ドンヒ、昔ブイブイ言わせてたって聞いたけど」
「女の子に対してでしょ?」
「…うー…」
「ん?なに?もしかしてイナさん、ドンヒになんかした?」
「…ちがう!」
「…んじゃ、ドンヒがイナさんに迫ったの?!」
「…うー…」
「え?!そうなの?!」
「そういうわけじゃないんだけど…そのぉ…」
「…。なんとなくじゃれあってた?」
「…あー、それに近いかもぉ…」

俺は奴の部屋での出来事を思い出しながら口ごもった
ウシクは唇を尖らせ目を細めて怪訝な表情を作った

「…。センセもだけどイナさんも相当罪作りだよね」
「え?」
「二人とも自覚がないし。ったく困った人だ」
「え?え?」
「祭ン時思い出しちゃう」
「お…俺は何にもしてないぞ!…あ…いや…そう言えばちょこっと…押さえつけたりしたけど…でもでもでもっ、留まったぞっ」
「…。多情」
「い」
「っつーかなんつーか…、センセにしてもイナさんにしてもぉ、そういうぅ人を惑わす行動がぁ本能に組み込まれてンの?」
「お」

ウシクが俺を睨みながらグイグイ近づいてきた
迫力がある…コワい…

「ふー。とにかく、ドンヒはセンセの色っぽいキスにショック受けてるはずだから」
「そそ、そんなことないと思う!アイツが先生に迫ったのかもしれないし」
「なんでそんなこと言うの?」
「だって、だってだってアイツ俺に…」
「ドンヒからイナさんに迫ったとでも?」
「あ…おん…。俺が奴を押さえつけてその…留まった後…なんかそのあの…奴の瞳が急に潤んで…」
「じゃ、イナさんが引き金になったんじゃん」
「う」
「責任取んなよ」
「…おれがわるいの?」
「ちょっとはね」
「そうなの?そうなるの?俺、アイツに調子狂わされたと思ってたんだけど…」
「ドンヒの調子狂わせたの、イナさんだよ」
「…」
「わかってないなぁもう。イナさんはね、知らないうちに頑ななヒトの心に侵入してほぐしちゃうの。そーゆートコあるの。ソクさんだってヨンナムさんだってギョンジンだってそうでしょ?それでみぃんな柔らかくなった…」
「…。そう?」

んふ。そうだった…。ソクもヨンナムさんもギョンジンも、最初は怖かった…
しょれがおれとかかわったことで、ちっとずつかわってきたんらった、けひっ

「…。んなトコでちょっと嬉しそうな顔するんじゃないよ!」
「う…嬉しそうだなんて…」
「あー、テジュンさんが可哀想」

ウシクが大げさに声を上げた時、裏の戸口が開いて先生が入ってきた
先生はいつもと変わらない様子で俺達に話しかけた

「どうしたの?喧嘩?」
「あ、センセ、遅かったじゃん」
「ウシク…ソフトクリーム食べちゃってごめんね」
「…。はじめっからそうやって素直に謝ればいいのに」
「ごめんね」

先生はウルウルした瞳でウシクを見つめ、それからそっとウシクの肩に顔を埋めた
なんなんだ!さっきの我儘先生はどこへ行ったんだ!何事もなかったような顔でっ!
しかも先生、今しがたドンヒにキスぶちかましたんじゃねぇのか?どういうことだよまったく!
俺が膨れて二人を見つめていると、ウシクが俺を睨んで顎をしゃくり、『早くドンヒを迎えに行け』と声を出さずに俺に言った

「あ…はい…行ってきます…」

俺はウシクの重圧感に押し出されるように店を出た

先生は不安定か…
そういえばドンヒも…

ドンヒはくるくる色が変わる
安定しないからどれがホンモノのドンヒだかわからない
半分は俺のせいなのかもしれない
考えてみれば俺は、昨日からアイツにずっと、ずうっと、もっと自分を出せって言い続けてきた
余裕で受け止められると思ってたんだ
少しずつ自分らしさを出してきたドンヒに戸惑いながら、それでも本当の仲間になりたかったから
俺は俺の思いを伝えたつもりだし、アイツにもほんの少しだけど吐き出させたつもりだ

誰もが一色じゃないんだ
隠している色や自身が知らない色も持ってる
ウシクも先生も、今日は違う色をしていた
俺だってそうなんだろう

BHCの仲間達
思いっきり我儘を言えば誰かが諌めてくれる
慰めてもくれる
本気で喧嘩したり傷つけあったりもできる
ドンヒはその一員になりきれていない
遠慮が先に立ち、本音を隠して笑顔を作ってた
俺、もっと優しく接した方がいいのかな、何も言わないで見守ってやるとかさ…

公園に向かって歩いていくと表通りにぼんやりとドンヒが突っ立っていた

『ドンヒはセンセの色っぽいキスにショック受けてるはずだから』

ウシクは…すごいな…。どうしてわかる?
確かにドンヒは心ここにあらずといった状態だ

『罪作りだね』

部屋ではしゃいで甘えてきたドンヒを思い出すと、『先生から』じゃなくて『ドンヒから』迫ったような気がしたけれど
ぼんやりしているドンヒを目の当たりにすると、やっぱり先生からのキスだったんだと思う

先生、ドンヒとウシクとを間違えたってどういうことだろう…
そんなにもボケちまったのか?
そりゃ俺達は『みんな同じ顔』だけど、微妙に雰囲気が違うんだぞ
第一、 愛するウシクとドンヒを…あの横綱と引き締まったドンヒとを…どうやって間違えるんだよ
間近だとわかんねぇのかなぁ…老眼だからか?…んなバカな…

俺は突っ立っているドンヒの肩を叩いた
奴はハッとして俺の顔を見ると、決まり悪そうに俯いた

「店、行こう」
「…。はい…」

ゆっくり歩きながらドンヒに話しかけた

「さっきごめんな、先生とお前をほったらかしにして」
「…」
「ウシクに事情聞きたくてさ、センセの様子おかしかったから」
「…。なにか…わかったんですか?」
「ん。なんかややこしそう。ウシクに任せときゃなんとかなるだろうけどね」
「先生、なにが哀しいのかわかんないって言ってました…不安定なんだなって…僕とおんなじなんだなって思いました」
「不安定…か…」
「…。先生、僕にキスしました」
「…」
「ウシクさんと間違えてたみたい。…キスした後、僕を見つめて顔色変えて、ウシクじゃないって言いました…」
「…」
「…僕って一体何なんですか?僕は…イ・ドンヒです…ウシクさんじゃない…」

先生がドンヒにキスをした
ウシクのつもりでいつものようにキスをした
それがドンヒだとわかって…

さっき店に入ってきた先生は、いつもの先生だった
何事もなかったような顔で…
先生…

先生の抱えている問題は、深くて苦しそうだ
何に煩わされているのか自覚できてないってのは不安が大きいだろうな

もしドンヒがウシクを追いかけていて、俺があそこに残っていたら、もっとうまく対処できたのかもしれない
そんな風に思うのは、ウシクから先生の事情を聞いた後だからなんだろうけど

「イナさん、どうして逃げたんですか?!どうして僕と先生とを残して行っちゃったんですか?!イナさん酷いです!先生はイナさんを頼ってたのに!僕じゃないのに!僕じゃ…」

そうだ
俺が心配しなきゃなんないのは先生じゃなくてドンヒの方だった

「イナさんが面倒見いいなんてウソだ!ちょっかい出してその気にさせて逃げ出しちゃうんだ、イナさんは!」
「逃げたわけじゃないよ、ウシクを連れ戻そうと思って…」
「僕は…僕は先生に…」
「ごめんドンヒ」
「…」
「悪かった。先生がお前を惑わすようなことするなんて思ってなかったから…。俺が残ってりゃよかった…ごめんな…」

それに…キスの話、ドンヒから仕掛けたんじゃないかと疑ったことも…ごめんな…
心の中でもう一つ謝って、俺はドンヒを抱きしめようと腕を伸ばした

「今更遅いです。僕の唇は奪われました!甘いキスでした…僕は…僕は先生に心を奪われ…奪われましたっ」
「…ドンヒ…」
「僕は…先生が…先生が好きになりました!イナさんが僕達をほったらかしにしたからです!」

ドンヒはその場に立ち止まり、目に涙を溜めて心にもないだろうことを叫んだ

「ドンヒ、とにかく店に行こう。道の真ん中だし…ね?」

俺はドンヒを宥めて店に連れて行こうとした

「いやだ!イナさん勝手に行けばいい!僕なんかどうだっていいんだ!僕なんか店にいなくても」
「ドンヒ」
「イナさん…今煩わしく思ってるでしょ?ねぇ、僕にばかり本音を言えって言ってるけど、貴方の本音を聞かせてよ!」
「ドンヒ、店で話そう」
「いやだ!店には行かない!先生もウシクさんも僕にいて欲しくないに決まってる!イナさんもいやでしょ?僕はこんな奴です!イナさんのせいだ!ずっと我慢してきたのに!僕を出したら皆に嫌われる!イナさんのせいだ!」
「ドンヒ」
「イナさんなんか嫌いだ!卑怯者」

ドンヒは思いつく限りの悪口雑言を並べ立てている
俺は奴が騒げば騒ぐほど冷静になっていった

「イナさんは卑怯だ!本音を言ってくれない!思ったことをぶつけてくれない!」
「ドンヒ、落ち着け」
「落ち着いてるよ!冷静だよ!頭ン中は冷え切ってる!こんな自分、大嫌いだ!イナさんも正直にそう言えよ、僕を罵ればいい!いい加減にしろって怒鳴りつければいい!」
「ドンヒ俺は…」
「なんだよ!」
「お前と喧嘩したくないんだ」
「…。なにそれ…」
「落ち着いて話そう」
「また逃げるんだ」
「違うよドンヒ」
「そうじゃないか!僕が僕を出せばはぐらかして逃げて…。イナさんなんか大っ嫌いだ!」
「ドンヒ。お前はそうやって怒りながらしか自分を出せないのか?」
「…え…」
「お前、喧嘩腰で突っかかってくるじゃないか。そこに俺が乗っかっちまったら分り合うどころか決別しちまうだろ?自分の気持ち、怒鳴り散らさなくったって話せるはずだ」
「…」
「店に行こう。落ち着いて話そう。先生に、なんでドンヒにキスしたのか聞こう」
「そんなこと…そんな…こと…どうだって…センセはただ間違えただけで…」
「だったら謝ってもらおう」
「…」
「お前を傷つけたこと、謝ってもらおう」
「先生じゃない…イナさんだ…僕を…僕を傷つけたの…イナさんだ…」
「…そうだな、俺だ…。ごめんなドンヒ」
「適当に謝らないでください!」
「…適当じゃねぇよ、本心だ。正直な気持ちを話せってしつこくしてごめん」
「それって、僕の正直な気持ちを話さなくていいってことですか?」
「また喧嘩腰…。違うってばさ。言っただろ?お前と喧嘩したくない」
「…なにそれ…なんだよそれ…、今度はそうやって僕の口を塞ぐんだ」
「ドンヒ。見当違いだよ。ここじゃ何も話せない、俺の気持ちもちゃんと伝わらない。だから店に行こう。な?」
「…」

まだきつい顔をしているドンヒの肩を抱いて俺は強引に店へと歩を進めた
最初力んでいたドンヒは、店が近づくにつれ俺の体に自分の身を預け始めた
裏口の扉を開けようとした時、ヤツは身を翻して俺に抱きついた

「…どうした?」
「…ごめんなさい…ごめんなさい…」
「お前が謝る必要ないよ。俺がお前を戸惑わせたんだから」

頭を撫でてやるとドンヒはますます俺にくっついた
…こいつ甘えたかったのかな…
そういえば昨日から何かというとくっついてきたっけ…
ふふ
可愛い…

「なにが可笑しいんですか?」

鼻にかかった甘い声でドンヒが俺を睨んで訊ねる
ちょっとドッキリするぜ、この野郎…

「ドンヒ」
「…はい…」
「お前、もしかしたらスヒョン以上にコマシの天才かもしれない」
「え?」
「ラブ以上のあまのじゃくで甘え上手かもな」
「え…甘え…上手?」
「んふふ。中に入ろう」
「…はい…」

ドンヒはすっかり落ち着いた様子ではにかみながら俺の後に続いた

****

「ラブちゃん、ソヌさんに電話」
「…」
「ラブちゃん、ソヌさんに電話だよ、電話」
「…ふぅ…おっちゃん…」
「なに」
「俺ってぇ」
「うん」
「ダメだよね~」
「なにが?」
「はぁ…。…ちょっと微笑んだだけなのにさぁ…、ふっ…、ああ…悪いことしちゃった…」
「なにがよ」
「…受付の女の子…惚れさせちゃったぁ~」
「…」
「んふ。んふふ。真面目そうだったけどよく見るとまぁまぁ可愛い子だったな~。もうちっと髪型とかメイクに気を遣えばめちゃくちゃイケてるのになぁ~んふふ」
「ラブちゃん」
「なぁにぃ?くふん」
「ソヌさんに電話しなさいよ!」

おっちゃんはぶすっとした声でそう言うと、急に車を加速した

「あうっ。おっちゃん、危ないよ」
「そう思うならシャキッとしなさいよ!開店時間に間に合うようにおっちゃん一生懸命なんだから!」
「あぁんおっちゃん、ありがと」
「ソヌさんに電話しなさいよ!」
「…ソヌさんに…電話?電話ってなんだっけ…。なんで電話するんだっけ、おっちゃん」
「知りません!おっちゃんは今運転に集中してますから!」
「…おっちゃん、なに怒ってるのぉ?俺が女の子にモテたから?」
「…。ラブちゃん」
「なぁに?」
「ラブちゃんはね、真面目な若い女の子にはね」
「うん」
「モテません!」
「え?」
「おっちゃんが保証します!ラブちゃんはね、年上の女性か男の人にしかモテません!」
「…。どゆこと?」
「若い女の子がラブちゃんみたいなわがままで天邪鬼な子を扱えるとは思いませんから、おっちゃんは!」
「…。おっちゃん…なんで怒ってるのさ…待たせすぎたから?」
「違います!おっちゃんはラブちゃんのためなら何時間だって待ちます!そうじゃありません!ラブちゃんは病院にナンパしにいったんじゃないでしょう?」
「…」
「帰ってきてからヘラヘラヘラヘラ…。ギョンジンちゃんに会えたかどうかも教えてくれないで!おっちゃん、どんなに心配したか!」
「…ごめん…だって…だって俺…ぐすっ…俺、あいつに…会えなかったから…ぐす…」
「うそ泣きなんかしてもだめ!おっちゃんの耳も目も誤魔化せません!」
「…おっちゃん、するどい」
「ほんとに会えなかったの?」
「うん、会えなかった。だから明日、もう一回トライする」
「…そか…会えなかったのか…残念だったね…ぐすっ」
「おっちゃんが泣くことないじゃんか。俺は平気だよ。あそこにいるってわかったから。ね」
「…そか…。じゃ、ソヌさんに電話して」
「…んだからなんでソヌさんに電話しなきゃなんないんだっけぇ」
「知らないよおっちゃんは!とにかく電話してちょうだいね」
「…。…。あっ!そっか、ここがわかったのはソヌさんのおかげだったんだ!大変!早く電話しなきゃ」

俺は慌ててソヌさんの番号を拾い出した
コール音を重ねるにつれ、『ソヌさんに電話をしているのだ』という意識が俺の心に圧し掛かる
どきどきどき…
どきどきどきどき…
あれ
なんでこんなにドキドキするんだろう…
めちゃくちゃ緊張してきたぁぁ…

『…ん…はい…』

妙にかすれた声…
もしかしてお昼寝してた?もう結構な時間だけどな~店に行かなくていいのかな~

「あああああの」
『どなた?』
「ら…ぶです…」
『ラブ?…ん…ふぅ…』

ひひん(@_@;;)絶対お昼寝してたんだ!
俺、お昼寝の邪魔しちゃったぁぁ…
寝起きの声だ、色っぽい
色っぽいけど怖いっ(@_@;;)

『…ん…どうしたのょ…』
「あの…あのあ…の…ぴーちゃ…ポール・ロジャースさんに電話してしてしてくださってありありありがとうございましたっ」
『ポール・ロジャース?誰それ…』
「えと…ぴーちゃん…」
『ああ、ポール・ロジャース』

(@_@;;)だからそう言ったじゃん!と普通なら突っ込むところだけど、そんな事できるはずない

『で?』
「ああのあのあの…おかげさまでアイツ…じゃない…ミンチョルさんたちの病院がわかりましたありがとうございましたっ」
『ミンチョルさんの病院?ミンチョルさんって病院経営してたっけ…ふぁ…』
「あいや、あの、昨日ほら、怪我してほら、入院したっていう…」
『…。ああ…。そうだったね…』
「ソソソソヌさんがぴーちゃん…ポール・ロジャースさんに電話してくださったので、ポール・ロジャースさんから俺…僕に電話がありまして、ミンチョルさんたちが入院してる病院がわかりまして、あの一応見舞いに行ったんですが、今日は面会できなくてその…でもありがとうございましたっ」
『見舞い?』
「ははははい」
『陸軍病院…だっけ?』
「はははいそうです」
『遠いよね』
「はい…」
『今帰り?』
「はははははいっ」
『店、遅刻したらダメょ』
「あ…は…はい…」
『遅刻したらシメるょ』
「えっ(@_@;;)」
『僕の昼寝、邪魔したでしょ?その上遅刻なんかしたらシメる』
「えええっ(@_@;;)あああ、あのっそのっ、ソヌさんだって昼寝なんかしちゃったりなんかしてて間に合うんですかかか?」
『僕?もう店にいるから』
「へっ?」
『厨房の二階で寝てたの』
「は?あ…あの覗き部屋ああああわわわ」
『それは闇夜とテソンの秘密部屋でしょ?!そこじゃなくて僕専用の休憩室』
「あああはいはいはい、そうれした(@_@;;)ごめんなさい…」
『とにかく遅刻しないように、気をつけて…じゃね』
「あああ…ははははい、あのあのっ、いろいろいろとありありありがとうございました」
『あ』
「はははいっ!」
『彼には会えたの?』
「いやそのだから…まだ面会できなくて」
『ギョンジン君だよ?彼は付き添いでしょ?』
「はははい…あ…でも…なんか…会えなかったです…呼び出してもらったけどいなかったみたいで…」
『ふーん。かわいそ』

ソヌさんは感情のこもらない調子でそう言った

『じゃ、店で』
「ははいっ」☆




すげぇ緊張した
手が震えてる

え?遅刻したらシメる?
え?首?首シメられる?え(@_@;;)?

「おっちゃん、どどどどうしよう…俺…ソヌさんにコロサレルかもしんない…」
「ラブちゃんは、いっぺんあの人にコロサれたほうがいいかもねぇ」
「ああん、おっちゃああん」

俺はおっちゃんに、今のソヌさんがどんなにコワかったかを話した
脅されたのは遅刻したらシメるってことだけだったけど、全ての会話が怖かった

「ソヌっち、凄みはあるけどチャーミングな人物だよ」
「…おっちゃん…知ったかぶりしないでよ…」
「時々ケーキくれるよ」
「え?」
「お母さん思いだし」
「え?(@_@;;)」
「お母さんがまた若々しくて別嬪さんなんだよな~。ありゃあマザコンかもしれねぇ」
「…おっちゃん…今誰の話してるの?まさかソヌさんじゃないよね」
「ソヌっちの話だけど?」
「…まざこんっちった?」
「うん」
「ソヌさんが?!」
「うん」
「(@_@;;)…おっちゃん…コロサレてもしらないから…」
「なんで?本人に言ったけど、こないだ」
「え」
「ソヌっちはマザコンでしょ?って言ったらちょっと怖い顔でおっちゃんを睨んで、それから参ったなぁ…ってポソッと呟いてたよ」
「…(@_@;;)おっちゃんって…命知らずだったんだ…それに…なんでソヌさんのお母さん知ってるの?!」
「え?ソヌっちのママ、喫茶店やってるんだよ。知らなかった?」
「…(@_@;;)きっさてん?すなっくじゃなくて?」
「コーヒーの美味しい品のいい喫茶店だよ」
「そ…そう…。あっ!この話、ソヌさんには内緒にしてよ!」
「さーどうしようかな~。けほんけほん。それよりラブちゃん」
「はい…」
「ギョンジンちゃん、呼び出したのにいなかったの?」
「え?あ…うん…。どっか出てったのかな…」
「じゃ、受付に伝言とか頼んだの?」
「…ううん…何て伝言すりゃいいのかわかんなくて…。だから明日また行く」
「もうっ!」
「え?なに?」
「ラブちゃん…ぐしっ…ラブちゃんったらもう…なんて不器用な…ぐしっ…」
「な、なんでおっちゃんが泣くのよ…」
「よっしゃ!おっちゃん明日も付き合っちゃうよ!ラブちゃん専用運転手になっちゃう!」
「ええっ?んなことしたらおっちゃんの売上、激減じゃん…」
「二日ぐらいかまわないよ!ラブちゃんのためだもん、まかしときなさい!」
「…おっちゃん…ありがと…。おっちゃあああん」
「ぐえ。らぶちゃん、ハグは嬉しいけど運転中だからやめてぇぇ」

思わずおっちゃんに抱きついてしまった…
俺って恵まれてるな…
おっちゃん、ありがとね…後でなんか美味しいもん、ご馳走するからね…
俺はおっちゃんのあったかさに涙腺を刺激され、店に着くまでずーっとぐしぐしひっくひっくしながらおっちゃんにありがとうを言い続けた












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